信長が「名城」と称賛し、秀吉が渇殺した鳥取城が蘇る

久松山のふもとに残る鳥取城の石垣。大手門の復元工事が行われている(中央)
久松山のふもとに残る鳥取城の石垣。大手門の復元工事が行われている(中央)

 戦国時代から江戸時代にかけての石垣が残る国史跡「鳥取城跡」(鳥取市)で、幕末期の城の姿をよみがえらせる復元事業が進んでいる。来年春には城の正面玄関に当たる大手門が完成、令和15年ごろには世界遺産・姫路城大天守の「弟城」とも呼ばれる「二ノ丸三階櫓(さんがいやぐら)」を再建する構想だ。時代をさかのぼると、豊臣秀吉の兵糧攻め「渇殺(かっさつ)」で知られる鳥取城。往時の復元で歴史舞台の魅力は格段にアップする。

146年ぶりよみがえる

 「32万石の鳥取藩にふさわしい門ができるのは誇らしい」。8月下旬に行われた大手門の安全祈願法要。同市教委の吉田博幸副教育長はこうあいさつし、復元に期待を込めた。来年春「城の表玄関」が復元すれば、実に146年ぶりとなる。