明治維新を支えた男 白石正一郎日記に見る幕末

第1部 前夜(5) 安政の大獄 月照をかくまう 編集委員・宮本雅史

小倉屋・白石邸があった跡地。当時は海が迫っており、海から直接入る「浜門」があった。今は埋め立てられている=山口県下関市(宮本雅史撮影)
小倉屋・白石邸があった跡地。当時は海が迫っており、海から直接入る「浜門」があった。今は埋め立てられている=山口県下関市(宮本雅史撮影)

 白石正一郎(しらいし・しょういちろう)が当主を務める山口・下関の荷受問屋「小倉屋」の白石邸には幕末、薩摩藩関係者の来訪が続いた。正一郎と西郷吉兵衛(のちの隆盛)が安政4(1857)年11月12日から13日にかけて会談し、強い信頼関係を構築したたまものだ。西郷は薩摩藩主、島津斉彬(なりあきら)の命を受け、江戸や京で情報収集や工作活動を展開していた。

 安政5(1858)年は来訪が集中した。

 「白石家文書」に収録されている『白石正一郎日記』(日記中摘要)によると、同年2月13日から18日まで、薩摩藩脱藩組で西郷が四天王と呼んだ志士のうち工藤左門と洋中藻平の2人や藩士の井上弥八郎らが滞在、26日には工藤の紹介で苫船(とまぶね)新役の高崎善兵衛が訪れている。苫船は屋根を覆った船のことで、薩摩藩は天下の形勢を国許(くにもと)に報告するため各港に係留していた。

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