明治維新を支えた男 白石正一郎日記に見る幕末

第2部 夜明け(2)下関事件に参戦した公卿 編集委員・宮本雅史

日記中適要の一部。文久3年は「中山」という言葉が頻出し、4月10日には「御絶食」とある(個人蔵・下関市立歴史博物館寄託)
日記中適要の一部。文久3年は「中山」という言葉が頻出し、4月10日には「御絶食」とある(個人蔵・下関市立歴史博物館寄託)

 薩摩藩や長州藩などの尊皇攘夷運動の拠点となっていた「小倉屋」は、文久3(1863)年に入ると尊攘派の公卿(くぎょう)(朝廷の高官)らも出入りするようになり、当主の白石正一郎(しらいし・しょういちろう)も本格的な尊攘運動家となっていく。

 4月2日、祐宮(さちのみや)(のちの明治天皇)の侍従で尊攘派の公卿、中山忠光が訪ねてきたことが契機だった。

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