明治維新を支えた男 白石正一郎日記に見る幕末

第2部 夜明け(3) 欧米列強と一藩が戦った 編集委員・宮本雅史

当時の大砲のレプリカが置かれた壇ノ浦砲台跡。ここから外国船を攻撃した =山口県下関市(宮本雅史撮影)
当時の大砲のレプリカが置かれた壇ノ浦砲台跡。ここから外国船を攻撃した =山口県下関市(宮本雅史撮影)

 攘夷運動が高まる中、幕府は孝明天皇の働きかけもあり、文久3(1863)年5月10日を攘夷決行の日と決める。この日に外国を追い払おうというのだ。各藩に攘夷の命令が出された中、唯一、外国と実戦を交えたのが長州藩。場所は、白石正一郎(しらいし・しょういちろう)が当主を務める荷受問屋「小倉屋」のある長門国(ながとのくに)の下関(山口)だった。下関は攘夷沸点の地といえる。

 4月1日、毛利能登(元美(もとよし))が赤間関海防総奉行として下関に赴任、正一郎は集結する藩士らの宿舎の斡旋(あっせん)に奔走する。

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