歴史の転換点から

蝮(まむし)の涙(1)斎藤道三、最期の日

斎藤道三(利政)肖像画(東京大学史料編纂所蔵模写)
斎藤道三(利政)肖像画(東京大学史料編纂所蔵模写)

 戦国と下克上の世を代表する「梟雄」、斎藤道三。約460年前の4月(旧暦)、美濃国(岐阜県)で起きた「長良川の戦い」で長男の義龍に敗れ、数え歳で53とも63ともされる波乱と謎に彩られた生涯を終えた。NHK大河ドラマ『麒麟がくる』では本木雅弘さんの快(怪)演が注目される一方、道三の生涯と「国盗り」、さらに彼を2代目とする「斎藤氏4代」について近年、通説が大きく修正されている。「道三最期の日」を始点として、道三とは何者か、われわれは彼になにをみてきたのか-に迫る。(編集委員 関厚夫)

聖か邪か-文豪たちが描くその死の瞬間

 「自分の朽ちた肉体と同じように、自分の名声も、武勇も、もう朽ち果ててしまって、人からは、対手(あいて)にされる値打ちがなくなっているのではないか」-。その名を冠した文学賞で知られる戦前の大御所作家、直木三十五が『斎藤道三殺生伝』で描く道三の最期は、それまでの話の展開からすれば因果応報とはいえ、「酸鼻」である。

 前述の独白の通り彼は、わざと遠巻きにする敵兵からあざ笑われ、疲労のために切腹しそこなったなった傷口から血を流し、意識が混濁するなか、「老いさらばつた犬の如く」、戦場をさまよい続けるのである。

 「道三は長井忠左衛門にくみつかれ、小真木(こまき)源太に脛(すね)をなでぎりにされ頸(くび)をとられ、忠左衛門により、その功名のしるしとして鼻をそがれたと『信長公記』は伝える。道三らしい悲惨な最期であった」