台湾日本人物語 統治時代の真実

(3)欧米列強を模倣せず

故郷の岩手県奥州市にある後藤新平像
故郷の岩手県奥州市にある後藤新平像

 《人のおせわにならぬやう 人のお世話をするやう そして むく(報)いをもとめぬやう》

 大正9(1920)年、満州(現中国東北部)ハルビンにつくられた「日露協会学校」(後の哈爾浜(ハルビン)学院)の武道場には、後藤新平(1857~1929年)が書いた『自治三訣(さんけつ)』の扁額(へんがく)が掲げられていた。

 「公共心」を忘れた現代の日本人に聞かせたい言葉ではないか。

 対ロシアの専門家を育成するために、後藤の肝煎りで創設された同校からは、多くのユダヤ人を助けた“命のビザ”で知られ、リトアニア公使などを務めた杉原千畝(ちうね)や、歌手の加藤登紀子の父で、満鉄(南満洲鉄道)などに勤めた加藤幸四郎(こうしろう)らが出ている。

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