歴史の転換点から

蝮(まむし)の涙(4)斎藤道三と戦国時代をめぐる虚実 木下聡・東洋大文学部准教授に聞く

「斎藤氏四代」について語る木下聡・東洋大学文学部教授=東京大学本郷地区キャンパス(関厚夫撮影)
「斎藤氏四代」について語る木下聡・東洋大学文学部教授=東京大学本郷地区キャンパス(関厚夫撮影)

 斎藤道三という「時代の梟雄」を生み、織田信長が「天下布武」への足掛かりにしたにもかかわらず、戦国期の美濃国(岐阜県)にはいまだよくわからないことが多い。最新の研究成果に基づく道三像や信長の正室となった娘、帰蝶(濃姫)の婚姻などについて近刊『斎藤氏四代』(ミネルヴァ書房)の著者である木下聡・東洋大文学部准教授に聞いた。(編集委員 関厚夫 全2回)

 --いまや、美濃の「国盗り物語」は道三の一代で達成されたのではなく、父の長井新左衛門尉(しんざえもんのじょう)との「合作」であったと考えてよいのですね。

揺れる通説

 「そうです。ただ、新左衛門尉がいつ美濃に来たのかはまだ分かっていません。また、彼が美濃守護だった土岐氏の重臣に取り立てられたのは事実ですが、この異例の出世を果たした過程がよくわからないのです。結局、『六角承禎(ろっかく・じょうてい)条書』にあるように、もとは京都・妙覚寺のお坊さんで、還俗後は美濃に来て重臣の長井家に仕え、西村姓を名乗り、国内の混乱に乗じて頭角を現し、長井姓を名乗るようになった-という大まかな事実が確認されるだけです。

 これは美濃だけに限らないのですが、戦国史研究については、江戸期に書かれた軍記物語や合戦記、地誌などの強い影響を受けた通説の誤認を、実証的な史料を精査・検討することによって徐々に訂正している、というのがここ20~30年の動向です。ただ、地域・時代によってかなり残存史料に偏りや差があります。関東でいえば相模の(後)北条や甲斐の武田、駿河・遠江の今川の各氏については比較的文書類が残っています。

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