緊急事態宣言の解除を受けて東京でも営業を再開する結婚式場が増えている。もともと休業要請の対象ではなかったが、宴席はだめ、外出も自粛というのでは多くのカップルが挙式を延期せざるを得なかった。
時あたかも6月。ジューンブライドの好機到来で、挙式の打ち合わせに式場を訪れた女性のいかにもうれしそうな表情をテレビで見るにつけ、何だかこっちまで幸せな気分になれた。
そこで思いついたのが今回の「言葉」で、今さらめいた話ながら含意は極めて重要だと考える(あっ、断っておきますが、これは結婚する熱々のお二人に向けた言葉ではありません)。
今年1月の衆院代表質問で国民民主党の玉木雄一郎代表が、「姓を変えないといけないから結婚できない」と交際女性から告げられた若い男性の話を紹介し、選択的夫婦別姓の導入を訴えたところ、「だったら結婚しなくていい」とのヤジが飛んだという。
声の主とおぼしき自民党の女性議員はその後、発言の真意に言及することもなく、記者の質問からも逃げ回った。ヤジを飛ばすのは国会議員として著しく品位を欠く行為であり、逃げ回るのも卑怯(ひきょう)である。
ただ一方で、「だったら結婚しなくていい」という言葉そのものは至極真っ当な意見かと思われる。
◇
随分と昔、昭和30年代に関西で始まった人気ラジオ番組があった。産経新聞の身の上相談欄にヒントを得たラジオ大阪の「悩みの相談室」で、夫婦関係や恋愛に悩む人らの相談に乗る融紅鸞(とおる・こうらん)(当時、関西でその名を知らない者はなかった!)の決めゼリフ、「あんさん別れなはれ」は一世を風靡(ふうび)したものである。
まだ小、中学の頃だった私は番組の内容までは覚えていないのだが、母はしょっちゅう、こんなことを私に話して聞かせた。「別れたい」と相談を持ちかけた奥さんでも、いざ「別れなはれ」と言われると大抵、「そない言わはっても…」と気が変わるのだとか。
「夫婦て、そんなもんやで」。夫婦の機微など分かろうはずもない私にそんな話をした母が、何ともおかしく思い出される。
男女が結婚するにあたっては、さまざまな困難と面倒が伴う。そもそもが赤の他人の二人だから人生観や家族観、教育観、時間の観念、金銭感覚…といった個人的アイデンティティーは違っていて当然である。しかし結婚となると、これら個人的アイデンティティーの衝突を超克し、新たに夫婦としてのアイデンティティーを形成していかねばならない。どんなに困難な作業でも「それでも一緒になりたい」と覚悟を決めてはじめて、二人は夫婦となることができるのに違いない。逆に、ほとんどの男女が特に気にもかけずに受け入れていると思われる姓の問題すら、二人で円満に解決できないようでは、とても結婚などできまい。