日本の論点

舞鶴 引き揚げの記憶、受け継ぐ10代

終戦後、引き揚げの舞台になった舞鶴港 =京都府舞鶴市
終戦後、引き揚げの舞台になった舞鶴港 =京都府舞鶴市

【戦後75年】

 「舞鶴」と聞き、流行歌「岸壁の母」を思い出すのは昭和生まれの人だろう。第二次世界大戦後、帰らぬ息子を待つ母親の心情を訴える歌の舞台が、京都府舞鶴市だ。終戦後、昭和33年9月まで旧ソ連に抑留された人々ら66万人を受け入れた引き揚げ港であり、日本人にとって重要な記憶を継承する港町でもある。

 戦後75年。日本が後世に伝えなければならない戦争の記憶は数多い。しかし、被爆地の広島と長崎、地上戦が行われた沖縄でさえも「体験者の減少で記憶の継承が困難」との声が聞こえる。

 引き揚げの町・舞鶴はどうか。昭和63年、引き揚げ者の資料を保管する舞鶴引揚記念館(同市平)が開設された。同記念館を支えるのが、引き揚げの歴史を語り継ぐ「語り部」の存在だ。そこに現在、若い世代の参加が増加している。

 平成前半は引き揚げ体験者が集い、記憶を伝えてきたが、中盤には体験者も高齢化。同市などは平成16年に「語り部養成講座」を開いたが、市民の関心は低く、養成講座は22年に応募者減少で中断した。

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