台湾日本人物語 統治時代の真実

(8)「ぞうさん」詩人の台湾時代

現場監督の姿で(右)=昭和5年ごろ(周南市美術博物館提供)
現場監督の姿で(右)=昭和5年ごろ(周南市美術博物館提供)

 『ぞうさん』『やぎさんゆうびん』『一年生になったら』…。誰でも知っている童謡の作詞者、まど・みちおの創作者としてのキャリアは、日本統治時代の台湾で始まっている。

 まどは、明治42(1909)年、山口県で生まれた。やがて一家は、父親の仕事(警察電話の敷設)で台湾へ渡るが、家庭の事情で、まどひとり、山口の祖父の家に残される。台湾の家族のもとへ合流できたのは大正8年、小学4年生になるときだった。

 以来、昭和18年に33歳で出征するまで、まどは台湾の学校に通い、台湾総督府などで仕事をし、台湾の文壇に名を残した。当時の作品には台湾の自然や風俗、子供たちとの交流が投影されたものが多い。

 《台湾は、私にとってはふるさとのようなところです。台湾の地図を見ると、島がちょうどゴムの葉っぱと同じ形なんです。そのことを…歌にもしました》(『百歳日記』から)

 一方、『まど・みちお研究と資料』の著者、谷悦子との対談で、まどは台湾の影響を「消極的」とし、その時代の創作を「表面的」とも語っている。日本と台湾の違いを強調するのではなく、《同じ自然だ、同じ人間だ》(同対談から)というのが、まどの基本姿勢だったのだろう。