日本の論点

千葉 武漢からの帰国者を受け入れた小さな町

市民らに見送られて「勝浦ホテル三日月」を出発する中国・武漢からの帰国者を乗せたバス=2月13日、千葉県勝浦市
市民らに見送られて「勝浦ホテル三日月」を出発する中国・武漢からの帰国者を乗せたバス=2月13日、千葉県勝浦市

 新型コロナウイルスの影響で2度休業した千葉県勝浦市の「勝浦ホテル三日月」が3日、営業を再開した。緊急事態宣言が発令された4月7日以降に加え、1月末に中国・武漢から191人の帰国者を受け入れた際も休業した。「国難」として受け入れに協力した人口約1万7千人の小さな町は、いち早くコロナの問題に直面した。

 太平洋に面した観光と漁業が主力の同市は当時、風評被害でキャンセルも相次いだ。それでも、市民らは、時間とともに帰国者を受け入れた。ホテル前の浜辺に「まけるな!」と砂文字を描き、竹灯籠をともし、エールを送った。帰国者が帰宅の途についた2月13日には、ねぎらいの横断幕を持つなどした大勢の市民らがバスに手を振った。

 くしくもその日は、151年前の明治2(1869)年に勝浦沖で米国船籍の蒸気船「ハーマン号」が暴風雨で座礁した日だった。新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争で、同船は函館・五稜郭に籠城した旧幕府軍制圧に向け、熊本藩兵ら約350人と米国人船員約80人を乗せて航行中、沈没した。地元漁民は危険を顧みずに夜を徹し、酷寒の海から日米の乗員約200人を助けた。女性たちは人肌で暖め、蘇生(そせい)させようとしたとの言い伝えも残る。