菅義偉政権の発足後、何かと不協和音が漏れてくる。外交を重視した安倍政権とは異なり、「国民のために働く政治」を謳(うた)ったことにもよるのだろうか。その一つが日本学術会議の会員候補者の任命に際して、6名の候補を拒んだ一件である。野党側はここぞとばかりに「学問の自由」を叫び、政権攻撃の標的としている。
国家主権の侵害に関心のない国会、学術会議
だがそれは竹島問題や尖閣問題、拉致問題などに関心を持つ者からすれば、コップの中で嵐を起こしているようなものである。竹島問題や拉致問題は、日本の国家主権が侵され続ける喫緊の課題で、その解決は他の何よりも優先されねばならないからだ。国会議員の先生方は、その喫緊の課題には関心がなく、日本学術会議にも領土問題や拉致問題を解決しようとする動きはない。日本の学術の最高峰に属する面々が、侵され続ける国家主権に関心がないとすれば、日本学術会議とやらの存在意義はどこにあるのだろうか。
今回、任命を拒まれた6名のうち、5名が憲法学者だったことも話題になった。その任命を拒まれた人士には、政府与党が進める憲法改正に反対だったという共通点があるからだ。そこで野党の面々は、今回の任命拒否を政治的な報復措置として、声高に政府批判をしている。
だがその前に、われわれは改めて「日本国憲法」について考える必要がある。それは現行の「日本国憲法」が外部から押し付けられた憲法だという、子供じみた理由からではない。
韓国政府が1952年に「李承晩ライン」を宣言し、竹島を韓国領としたのは、「サンフランシスコ講和条約」が発効して、日本が国際社会に復帰する100日前である。それは日本が最も弱っていた時で、竹島は1954年に韓国政府が武力占拠して現在に至っている。