歴史の転換点から

(5)『大日本』『世界政治の中の日本』-英国発もう一つの「坂の上の雲」が描く国民の歴史

日露戦争中、激戦地の中国・旅順で会見した海軍の東郷平八郎・連合艦隊司令長官(前列左から4人目)と陸軍の乃木希典・第三軍司令官(右隣)=明治37(1904)年12月(『東郷平八郎全集』から)
日露戦争中、激戦地の中国・旅順で会見した海軍の東郷平八郎・連合艦隊司令長官(前列左から4人目)と陸軍の乃木希典・第三軍司令官(右隣)=明治37(1904)年12月(『東郷平八郎全集』から)

 「その歴史の歩みの中で日本は、理想を堅持し続けていればとてつもなく偉大なことをいくつも達成できるということを証明した」

 わが国の「近代科学技術教育の父」と呼ばれる英国人、ヘンリー・ダイアーは1909(明治42)年に発表した大著『世界政治の中の日本』の最終章でそうつづっている。この記述が日露戦争(1904~05年)での日本の歴史的勝利をふまえていることは自明であろう。彼はまた、こうも指摘している。

 「白人は、黒人は言わずもがな、黄色人たちも白人の意向に従順であり、彼らの国の資源を白人が搾取してもかまわないという腹づもりでいた。日本はこうした作意を成功裏に粉砕した最初の東洋の国家であり、この成功が他国に大きな影響を与えたとしても驚くにはおよばないだろう」

日露戦での真の勝利

 日露戦争は明治37年2月から約1年7カ月にわたった。戦史上、また近代史上の画期であったにもかかわらず、その全貌についてはいまだに不確定なところがある。ブリタニカ国際大百科事典は「(日本側で)直接戦闘に参加した総兵力は108万余、艦船31・8万トン、疾病をも含めた死傷者は37万余、喪失艦船91隻であった」と総括。一方、日本歴史大事典(小学館)は「日本はこの戦争に約110万人の兵力を動員し(戦死者約8万、傷病者約38万)、戦費の総額はおよそ20億円にも達した」。