台湾日本人物語 統治時代の真実

(29)最古の小学校に誇り

かつて赤ペンキで汚された「六士先生」の碑も2000年に再建された=2012年、台北市内 (喜多由浩撮影)
かつて赤ペンキで汚された「六士先生」の碑も2000年に再建された=2012年、台北市内 (喜多由浩撮影)

 今から26年前の平成7(1995)年6月1日付産経新聞夕刊(東京本社発行版)に、小沢昇台北支局長(当時)電で、《「芝山巌(しざんがん)・学堂」きょう記念大会》《台北市士林(しりん)国民小学校「開校百周年記念祝賀大会」》の記事が掲載されている。その記事から100年前、台湾の割譲を盛り込んだ日清戦争の講和条約が締結されたことを記念した行事だった。

 近代教育制度整備の取り組みは、日本の台湾統治開始(明治28=1895年6月17日)直後から始まっていた。台湾総督府の初代学務部長に就任した伊沢(いさわ)修二(1851~1917年)は、台北郊外の芝山巌に、台湾人に国語(日本語)を教える芝山巌学堂を開校。士林小は、その「後身」とされている。

 統治開始約半年後の明治29年元旦に、土匪(どひ)(土地の武装勢力)の襲撃で教師(学部部員)6人(いわゆる「六士先生」)らが惨殺され(芝山巌事件)たこと、戦後、国民党によって破壊された墓所が「百年」を機に士林小OBらによって再整備されたことは、前回(14日付)書いた。