禍下に学ぶ日本史

(1)徳川慶喜 常識を超越した最後の将軍 家近良樹・大阪経済大学名誉教授

衣冠姿の徳川慶喜。慶応2(1866)年春、いまだ禁裏守衛総督の職にあったころの撮影という(福井市立郷土歴史博物館蔵)
衣冠姿の徳川慶喜。慶応2(1866)年春、いまだ禁裏守衛総督の職にあったころの撮影という(福井市立郷土歴史博物館蔵)

 今年は、ちょっとした徳川慶喜ブームのようです。これは渋沢栄一を主人公にして現在、幕末を描いているNHK大河ドラマ『青天を衝(つ)け』の影響によるものでしょう。「近代日本資本主義の父」といわれる渋沢ですが、年齢や経歴を考えるとさすがに「幕末の主役」にはなりえないため、草ナギ(=弓へんに剪)剛さんが好演している慶喜が第2の主人公として起用されたのでしょう。この先、歴史の糸と絆で結ばれた両人の姿を描くことによって、新型コロナウイルス禍に翻弄されている現代社会に光明や「生きるヒント」をもたらす作品になるよう期待しています。

 さて慶喜はいうまでもなく、幕末史上でも群を抜いて重要な存在です。なので幕末史を対象とするテレビの歴史番組にはしばしば登場します。しかも彼は、これまた群を抜いてその行動の意図が普通の人間には理解しがたいという、いわば「無常識」の人物です。したがって歴史番組の作り手の方々はある意味、慶喜には「つっこみ所満載」でありがたい存在だと受けとめられているようです。

3つの“謎”解き

 そんな慶喜に対して大別、3つの疑問がもたれているようです。一つ目は、慶喜は開国論者となったあと、なぜ攘夷論に同意し、政局を混乱させる一因を作ったのか。第2は、なぜ将軍となって1年にも満たない間に大政奉還を決断したのか。第3は、鳥羽伏見の戦いの後、なぜ幕臣たちをいわば見捨てる形で江戸に逃げ帰ったのか-。もちろん、慶喜にまつわる“謎”は、この他にもたくさんありますが、私が歴史番組の制作担当者や歴史好きの人たちから答えをよく求められるのは、この3点に集約されるとの印象があります。