実録 韓国のかたち

第3部(8)盧武鉉「突飛な行動」 虐殺荷担の左翼活動家の義父問題に開き直り?「親北」隠さなくなり…

盧武鉉候補の当選を願ってソウルの新千年民主党本部前に集まる熱烈な支持者たち =2002年12月(AP)
盧武鉉候補の当選を願ってソウルの新千年民主党本部前に集まる熱烈な支持者たち =2002年12月(AP)

直球発言に熱烈ファン 「愛する会」まで

 与党公認の大統領候補になるまで盧武鉉は左派系列の政党でも主流に属していなかったが、突飛な行動に出る政治家として有名だった。

 1988年、国会議員に初当選した盧は、翌年秋に行われた国会聴聞会で全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の不正を調査する特別委員会の委員として現代グループ会長の鄭周永(チョン・ジュヨン)を追い詰めるが、その場面がテレビで生中継され一躍有名になった。

 国会議員の多くが畏敬の念をもって質問にたつなか、盧は鄭を厳しく追及した。強い訛りに、庶民的な言い回し。直球を好む盧の熱弁に熱烈なファンができた。

 さらに盧は突飛な行動に出た。当選の可能性の高いソウル鍾路(チョンノ)区の公認を拒否して釜山から出馬したのだ。盧の落選直後、ネットでは「落選に涙が止まらなかった」という書き込みが殺到、市民参加型のニュースサイト、「オーマイニュース」は、その現象を「鬱憤が豪雨の如く降り注いだ」と報じた。

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