李登輝秘録

第2部 日本統治下に生まれて(2) 世界史教師の夢を阻まれ

日本統治時代の1919年に完成した台湾総督府。現在も総統府として使われている=台北市(河崎真澄撮影)
日本統治時代の1919年に完成した台湾総督府。現在も総統府として使われている=台北市(河崎真澄撮影)

 台湾は、日清戦争に敗れた清国から1895年の講和条約で割譲され、日本の領土の一部となった。

 李登輝が台湾総統時代に編纂(へんさん)を命じ、1998年に発行された歴史教科書「認識台湾」によると、40年には学齢児童の60%近くが、台湾人子弟向けの「公学校」や日本人の子弟などが通う小学校に入っていた。終戦を迎えた45年の日本語普及率は75%を超えた。

 李は、こうした日本統治時代の教育普及を高く評価している。

 だが、父親が警察の幹部で、経済的にも恵まれた李のような台湾人ばかりではなかった。内地(日本本土)からの日本人や子弟が、必ずしも台湾人を尊重したわけではなく、心ない蔑視や差別もあった。

 台北の郊外で29年に生まれ、戦後は日本で台湾人の人権保護運動などに関わっていた林景明(りん・けいめい)は、著書「日本統治下 台湾の『皇民化』教育」(高文研)で、戦前の日本教育について「日本が目指したのは殖産興業のための労働力の養成と台湾人の同化だった。明らかな差別があった」と厳しく指摘している。

【李登輝秘録】記事一覧