李登輝秘録

第2部 日本統治下に生まれて(5)「日本精神」…幻となった講演

台湾・台南の烏山頭ダムで2003年に行われた八田與一の慰霊祭に参列し、像に寄り添う元測量技師の顔雲霄=同年5月8日(河崎真澄撮影)
台湾・台南の烏山頭ダムで2003年に行われた八田與一の慰霊祭に参列し、像に寄り添う元測量技師の顔雲霄=同年5月8日(河崎真澄撮影)

 「台湾で最も愛される日本人のひとり、八田與一(はった・よいち)について説明しましょう」

 2002年11月、慶応大学の学園祭「三田祭」で講演を予定していた台湾元総統の李登輝は、こう語りかける原稿を用意していた。

 日本統治時代の台湾でダムや水路建設で活躍した八田與一(1886~1942年)をテーマに、「日本人の精神」を大学生に伝える考えだった。

 しかし、中国の外務省が「どんな理由であれ李登輝が訪日して活動することに一貫して反対する」と強硬姿勢を示した。これに配慮した形で日本の外務省が李に訪日ビザを発給せず、講演は実現しなかった。

 講演は慶大の学生サークル「経済新人会」が企画したものだった。だが、大学内部で李の訪日をめぐって教授らに意見の食い違いがあったとされ、学園祭の実行委員会が李の講演を許可しなかった。

 学生側は学園祭とは別に講演の実現を模索し、李も訪日目的を修正してビザを再申請したが、日本政府はかたくなに発給を拒んだ。日本の外交筋は、02年11月当時は「北京で5年に1度の共産党大会が開かれる政治的に敏感な時期で、中国を無理に刺激したくなかった」と明かした。

有料会員向け記事こちらは有料会員記事です (会員サービスについて)

産経ニュース会員(無料)に登録している方は、ログイン後に有料会員登録を行ってください

【李登輝秘録】記事一覧