李登輝秘録

第2部 日本統治下に生まれて(8)父が事典のお金を工面してくれた

1943年に李登輝(後列右)が父親の李金龍(前列右)や母親の江錦(前列左から2番目)、兄の登欽(後列左)らと撮影した家族写真(李登輝基金会提供)
1943年に李登輝(後列右)が父親の李金龍(前列右)や母親の江錦(前列左から2番目)、兄の登欽(後列左)らと撮影した家族写真(李登輝基金会提供)

 台湾元総統の李登輝が繰り返し話す父親、李金龍(り・きんりゅう)(1900~95年)との思い出がある。李が現在の新北市淡水にあった台湾人の子弟向け公学校(こうがっこう)(小学校)で4年生だったときのことだ。

 「父ちゃん、台北で小学館の『児童百科事典』と数学の本を買いたい」

 李は、台北市内を見学するバス旅行の前日の夜、父親に恐る恐る相談した。

 本は当時のお金で4円と父親の月給の1割5分ほどだった。父親は「すぐには用意できない」と悲しい顔をしたという。ところが翌朝、父親は親類に頭を下げて4円を工面し、バスに乗った李に届けてくれた。

 李は「その時のうれしさは今でもはっきり思い出すことができる」と話す。「児童百科事典」を隅から隅まで読んで、本の中身をほとんど暗記してしまった。李は父親の話をするとき、「父ちゃん」と日本語で懐かしそうにいう。

有料会員向け記事こちらは有料会員記事です (会員サービスについて)

産経ニュース会員(無料)に登録している方は、ログイン後に有料会員登録を行ってください

【李登輝秘録】記事一覧