天安門事件30年 民主化への遺産

(6)皆に助けられ逃避行2000キロ

2010年12月10日、オスロで行われたノーベル平和賞授賞式。主役の劉暁波氏(左奥の写真)が座るはずの椅子は空席だった(ロイター)
2010年12月10日、オスロで行われたノーベル平和賞授賞式。主役の劉暁波氏(左奥の写真)が座るはずの椅子は空席だった(ロイター)

 「逃げ切れないな…」

 1989年の中国民主化運動のリーダーで、北京師範大1年のウアルカイシ(21)は観念した。

 6月4日に天安門広場が武力制圧された後、南方の香港(当時は英領)を目指し、約2千キロの逃避行を始めた。が、途中の駅や停留所など街の至る所に指名手配写真が貼ってあった。

 「ウアルカイシを生け捕りにする必要はない」。そんな、当局の噂も聞こえてきた。「殺しても構わない」ということだろう。

【天安門事件30年 民主化への遺産】記事一覧