李登輝秘録

第3部 政治弾圧時代の苦悩(1)亡命運動家と日本で密会

日本に亡命していた王育徳(奥の写真)が自宅で李登輝と会ったことを書き残した1961年6月16日の日記=東京都内(河崎真澄撮影)
日本に亡命していた王育徳(奥の写真)が自宅で李登輝と会ったことを書き残した1961年6月16日の日記=東京都内(河崎真澄撮影)

 蒋介石(しょう・かいせき)が率いた中国国民党による「中華民国」は、1945年の終戦で行政権を得た台湾に独裁体制を敷き、政治弾圧を強めていく。台湾大学や農政当局で農業経済を研究していた李登輝(り・とうき)(96)もしだいに政治とは無縁ではいられなくなる。蒋介石の長男で、72年に首相に相当する行政院長に就いた蒋経国(けいこく)は、李を農政担当の大臣である政務委員に抜擢(ばってき)した。李には政界の第一歩となったが、国民党政権に反発する民主運動家らと海外で水面下の接触も始めていた。第3部は、45年から李が台北市長に就任する78年までの苦悩の日々を描く。(敬称略)

                   

 「夜、家に着いてみれば、李東輝氏が来ており、(中略)実に気持ちのいい人で、日本に来て始めて、こんな素晴ら(し)き台湾人に会った。将来の独立も希望がもてるというものだ」(原文のまま)

 1961年のこと。台湾で中国国民党政権の「白色テロ」と呼ばれる政治弾圧から逃れて日本に政治亡命していた王育徳(おう・いくとく)(1924~85年)は、58年前の6月16日の日記に日本語でこう書いていた。

 王育徳は李登輝の名を「李東輝」と書いた。万が一、日記が外部に漏れた場合に人物が特定されないよう、「東輝」に置き換えておいたのだろう。

 遺品である日記の実物は、夫人の王雪梅(せつばい)(1925年生まれ)が産経新聞に初めて公開した。夫人は李が訪れた都内の一軒家に、今も暮らしている。

 王育徳らは、台湾に中国大陸由来の政党や政権とは無縁の台湾出身者の統治による国家を樹立し、中華民国からの独立を目指す「台湾青年社」(現・台湾独立建国連盟)を日本で立ち上げていた。

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