李登輝秘録

第3部 政治弾圧時代の苦悩(3)2・28事件 米問屋に隠れ助かった

2・28事件で殺害された阮朝日の娘、阮美●(=女へんに朱)(右)の家を訪れて事件に関する資料を見る李登輝(中央)と夫人の曽文恵(左)=1993年、台北市(阮美●(=女へんに朱)提供)
2・28事件で殺害された阮朝日の娘、阮美●(=女へんに朱)(右)の家を訪れて事件に関する資料を見る李登輝(中央)と夫人の曽文恵(左)=1993年、台北市(阮美●(=女へんに朱)提供)

 「台北の万華(ばんか)にあった米問屋の親友が蔵にかくまってくれなかったら、憲兵に連行されていたはずだ」

 元総統の李登輝は苦々しい表情で話した。1947年2月28日に台湾全島に広がった国民党統治への抗議行動を武力鎮圧した「2・28事件」で台湾が混乱に陥った時期。李もまさにその渦中にいた。

 中国から渡ってきて台湾の支配層となった国民党の軍や憲兵は当時、大学生など高等教育を受けた台湾出身者に目を光らせていた。

 戦時中に京都帝国大学(現・京大)で学んだ李は、終戦を受けて46年4月、台湾大学農学部に編入し、学生に戻っていた。

 幸い米問屋で食料に困らず、李はしばらく身を隠して拘束を免れたが、国民党政権による拘束は台湾のいたるところで起きていた。

 台北に本社を置く新聞社「台湾新生報」の社長として活躍していた阮朝日(げん・ちょうじつ)は47年3月12日、自宅で憲兵に連行された。台湾南部の屏東(へいとう)で00年に生まれた阮朝日は、日本の旧制高輪中学と福島高等商業(現・福島大学)を卒業していた。

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