李登輝秘録

第3部 政治弾圧時代の苦悩(6)早朝、憲兵に連行され死覚悟

1970年、農村復興聯合委員会の政策調査で上司の王作栄(右)の訪日に同行した李登輝(李登輝基金会提供)
1970年、農村復興聯合委員会の政策調査で上司の王作栄(右)の訪日に同行した李登輝(李登輝基金会提供)

 留学先の米コーネル大で1968年に書き上げた博士論文「台湾における農業と工業間の資本移動」が米農業経済学会で最優秀論文に選ばれ、李登輝は名を知られるようになった。

 当時45歳の李は、台湾に戻って中央省庁の農村復興聯合委員会(現・行政院農業委員会)に復職し、台湾大学教授も兼ねていた。だが、夫人の曽文恵(そう・ぶんけい)が長い間、恐れていたことがついに起きた。69年6月初め、台北の自宅で休んでいた早朝6時過ぎのことだった。

 ドン、ドン、ドン-。突然、玄関をたたく音が家中に響き渡った。白いヘルメットをかぶり、銃を携えた憲兵数人が、李に同行を求めたのだ。寝間着姿の李は憲兵に「支度をするから少し時間をくれ」と言い、着替えながら何枚もの小切手にサインして曽に渡した。

 李はこのとき「連行されれば二度と帰れないかもしれない」と覚悟した。万が一、自分が投獄され、処刑されても、小切手を現金化すれば、家族はしばらく暮らしていける。

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