李登輝秘録

第3部 政治弾圧時代の苦悩(8)日台断交に口挟む余地なく

1972(昭和47)年9月29日、中国・北京で日中共同声明の調印文書を交換する田中角栄首相(手前左)と中国の周恩来首相
1972(昭和47)年9月29日、中国・北京で日中共同声明の調印文書を交換する田中角栄首相(手前左)と中国の周恩来首相

 1972年、台湾を統治する中国国民党政権の「中華民国」の外交は混乱を極めていた。中華民国の国連脱退やニクソン米大統領による「中華人民共和国」の北京訪問などを受け、各国は雪崩を打つように外交の軸足を台湾から共産党政権の北京に移していった。

 日本も同年7月、首相に就任した田中角栄(1918~93年)が北京当局と水面下の交渉を始めた。

 ただ、自民党と蒋介石(しょう・かいせき)率いる国民党は親密な関係を築いており、その対応は簡単ではなかった。

 田中は、自民党副総裁の椎名悦三郎(1898~1979年)を72年9月17日から3日間、政府特使として台湾に派遣した。台北で椎名一行を待ち受けていたのは数千人からなる激しい抗議活動だった。行政院長(首相に相当)の蒋経国(けいこく)らと面会したが、何ら思わしい成果は得られなかった。

 田中は椎名らが帰国した後、9月25日に北京入りした。首相の周恩来(しゅう・おんらい)(1898~1976年)らと会談し、同29日には「日中共同声明」に調印して、国交を正常化した。これに強く反発した台湾は同日、日本との断交を宣言した。

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