台北市や台湾省という地方自治体の首長となった李登輝は、姉妹都市関係を海外に広げることで、国際社会で台湾の存在を高めようとしていた。一方、李の友人だった政治学者の彭明敏(ほう・めいびん)(1923年生まれ)は1970年に海外亡命し、米国で台湾の政権交代を目指していた。
ミシガン州などで大学の教職についた彭は、米国を舞台に国民党支配からの台湾独立を訴える活動を始めた。ワシントンでは、米国と台湾の軍事的な関係を維持する必要性についても説いて回った。
台北市や台湾省という地方自治体の首長となった李登輝は、姉妹都市関係を海外に広げることで、国際社会で台湾の存在を高めようとしていた。一方、李の友人だった政治学者の彭明敏(ほう・めいびん)(1923年生まれ)は1970年に海外亡命し、米国で台湾の政権交代を目指していた。
ミシガン州などで大学の教職についた彭は、米国を舞台に国民党支配からの台湾独立を訴える活動を始めた。ワシントンでは、米国と台湾の軍事的な関係を維持する必要性についても説いて回った。