李登輝秘録

第5部 大東亜戦争と台湾(3)台湾青年を守った「カール先生」

1941年に米国に帰国した英語教師のカー(右から5人目)の送別会を台北市内で開いた台北高等学校の学生ら(同時代社提供)
1941年に米国に帰国した英語教師のカー(右から5人目)の送別会を台北市内で開いた台北高等学校の学生ら(同時代社提供)

 李登輝が1940年4月に入学し、42年8月に繰り上げ卒業した旧制台北高等学校に、ジョージ・H・カー(1911~92年)という英語の教師がいた。

 日本語が堪能な米国人で、37年8月から41年3月まで在任した。学生に「カール先生」と呼ばれ、人気があった。李は学内で面識はあったが、「カール先生と当時、何を話したかは覚えていないな」という。

 李の4年後輩で、終戦まで台北高に在学した昭和女子大名誉教授の川平朝清(かびら・ちょうせい)(1927年生まれ)は、カーは米国のスパイではないかと噂されていた、と話す。

 「戦時中、米軍機が飛んできても、台湾の爆撃作戦はカール先生が指揮しているから台北高に爆弾は落とされない、と学内では信じられており、実際に終戦までそうなった」という。

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