李登輝秘録

第5部 大東亜戦争と台湾(7) 終戦直後「文明の衝突」に幻滅

1945年8月の終戦を受けて行政権を得た中国国民党政権の「中華民国」が台北市内で行った「台湾光復」祝賀式典(台北二二八記念館提供)
1945年8月の終戦を受けて行政権を得た中国国民党政権の「中華民国」が台北市内で行った「台湾光復」祝賀式典(台北二二八記念館提供)

 終戦の翌年、1946年に台湾少年工ら約2千人を乗せた米山丸に乗船し、台湾に戻った李登輝は、「故郷のあまりの変わりように驚いた」と振り返った。

 蒋介石(しょう・かいせき)が率いた中国大陸由来の国民党が台湾の行政権を握っていた。その国民党軍の兵士らの行動が、台湾を混乱に陥れていた。

 司馬遼太郎が「博覧強記(はくらんきょうき)の『老台北(ラオタイペイ)』」と一目置いた蔡焜燦(さい・こんさん)も「驚いた」という一人だ。蔡は鹿児島から別の船で46年に台湾に戻った。「台湾人もついに祖国に帰ったと希望に夢を膨らませていたが、目に入ってきた国民党の兵隊らは、日本時代には考えもつかない敗残兵のようで、軍紀もなにもなかった」からだ。

 李も蔡も台湾出身者は日本統治時代に日本国籍でありながら「本島人」と呼ばれてきた。だが終戦で「中華民国」という戦勝国の国民に連なって光復(失地を回復)したと夢を抱いた矢先に、幻滅が広がった。

                  

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