台湾日本人物語 統治時代の真実

(1)「維新負け組」のリベンジ

左から、後藤新平、新渡戸稲造
左から、後藤新平、新渡戸稲造

 「白河以北一山百文(しらかわいほくひとやまひゃくもん)」。明治維新の戊辰(ぼしん)戦争(1868~69年)で敗れた東北諸藩を、薩長を中心とする新政府軍(官軍)らが嘲(あざけ)った言葉である。

 奥羽越列藩同盟を結成して戦った仙台藩、盛岡藩、会津藩らは「朝敵」「賊藩」との汚名を着せられ、敗戦後の処分は苛烈を極めた。領地没収や石高(こくだか)の削封。重臣らは処刑され、禄を失った家臣の多くが新天地を求めて北海道などへ移住したり、農民となることを余儀なくされる。

 薩長ら藩閥出身者が牛耳っていた明治新政府で、これら東北の藩出身者は“冷や飯”を食わされた。

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