藤本欣也の香港探訪

アジア最大の外国人墓地をゆく(下)消えていく近代日本の足跡

香港の日本人墓地。手前の墓は1903(明治36)年に建てられた。墓碑に「大日本」と刻まれている=香港墳場(藤本欣也撮影)
香港の日本人墓地。手前の墓は1903(明治36)年に建てられた。墓碑に「大日本」と刻まれている=香港墳場(藤本欣也撮影)

 香港島・ハッピーバレーに広がる「香港墳場」は、約9000基の墓があるというアジア最大の外国人墓地だ。このうち600基以上が日本人の墓とみられ、墳場の高台には“日本人墓地”も形成されている。

 香港墳場に残る最も古い日本人の墓は、1878(明治11)年の陸軍少尉の墓だ。そのころの日本人の墓は英国人たちの墓に交じって建てられている。

 「1900年代に入ると、日本人の墓は同じ場所に建てられるようになり、いわゆる日本人墓地ができていきました。なぜだと思いますか?」

 今回、香港墳場を案内してくれた香港の歴史家、高添強氏(56)は、こう問いかける。

 「香港に住む日本人が増えたからでしょうか…」

 旧運輸省出身の赤岩昭滋氏が現地調査をして、1973(昭和48)年に著した「香港の日本人墓地-船員の墓碑を中心として-」によると、1901(明治34)年に香港に居住していた日本人は421人(男197人、女224人)。

 領事館、商社、商船、銀行のほか、雑貨店、呉服店、菓子店、旅館、料理店、写真館、理髪店などがあった。さらに貸座敷(妓楼)が13軒あり、132人の女性が働いていたという。“からゆきさん”と呼ばれる女性たちである。

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