台湾日本人物語 統治時代の真実

(5)台北帝大、南洋研究の拠点

台湾大学のキャンパス。そのルーツは台北帝大=2018年(田中靖人撮影)
台湾大学のキャンパス。そのルーツは台北帝大=2018年(田中靖人撮影)

 国家を背負って立つ政治家や官僚、財界人、技術者、学者を送り出した帝国大学は明治以降、東京、京都など9校つくられた。台北帝国大学は、7番目の昭和3(1928)年に創設。外地では、朝鮮の京城(現韓国ソウル、大正13年予科、15年学部創設)に次いで2校目だった。

 朝鮮に先を越された台湾総督府は大いに悔しがったらしい。台北帝大の初代総長に就任した歴史家・教育者の幣原坦(しではら・たいら)(1870~1953年、首相を務めた幣原喜重郎(きじゅうろう)の兄)はこう書いている。《…対岸の支那はいうまでもなく、香港にしても、フィリピンにしても、大学を有しているのみならず、朝鮮にさえ出来(でき)たという環境にある以上、我(わが)邦唯一の南洋研究所として、台湾に大学あって然(しか)るべし…》(昭和4年「自由通信」台湾号から)

 台北帝大創設の動きは、内務官僚から、大正13年に第10代台湾総督に就任した伊沢多喜男(いさわ・たきお)(1869~1949年)の時代に本格化している。伊沢は、台湾総督府の初代学務部長として、同地の近代教育整備の礎(いしずえ)を築いた伊沢修二(1851~1917年)の弟だから、兄の教育の志を引き継いだと言ってもいい。