「李登輝さんと私」中国にははっきりモノを言え 吉田信行・元台北支局長

元台北支局長、吉田信行氏(左)と総統府で握手する李登輝氏=1995年8月18日(李登輝基金会提供)
元台北支局長、吉田信行氏(左)と総統府で握手する李登輝氏=1995年8月18日(李登輝基金会提供)

■唯一の日本人特派員

 台北に特派員として赴任したのは、1991年1月に湾岸戦争が勃発した直後だった。李登輝(り・とうき)さんが蒋経国(しょう・けいこく)の後を継いで総統に就任して、すでに3年が経過していた。だが当時、台湾にはまだ蒋介石(しょう・かいせき)夫人の宋美齢(そう・びれい)がいて、中国大陸から来た外省人のシンボル的存在として君臨していた。行政院長(首相に相当)には軍出身の外省人、●(=赤におおざと)柏村(かく・はくそん)がデンと構えていて、台湾というより、文字通り“中華民国然”とした時代だった。

 李登輝さんの最大の功績は、こうした中華民国的社会、つまり10%そこそこの外省人が、85%の台湾人を支配するいびつな戦後構造を、弾薬ではなく投票用紙を使ってひっくり返したことだ。

 96年に自らが選出された総統直接選は台湾初と形容されるが、中国大陸やシンガポールを含む華人社会における長い歴史の中で、いまなお、他では実現したことのない民主主義選挙の初の成功例であった。独裁しか経験したことのない華人社会で不可能を可能に変えた功績は、華人社会の今後に重大な示唆を与える。

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