台湾日本人物語 統治時代の真実

(11)プロで大活躍「呉昌征に続け」

近藤兵太郎(前列右から2人目)を囲む嘉義農林のOBら。呉明捷(同左)、呉昌征(後列左から3人目)、洪太山、呉新亨らの顔も見える=昭和34年、東京都内(堀川盛邦氏提供)
近藤兵太郎(前列右から2人目)を囲む嘉義農林のOBら。呉明捷(同左)、呉昌征(後列左から3人目)、洪太山、呉新亨らの顔も見える=昭和34年、東京都内(堀川盛邦氏提供)

 首位打者、盗塁王、最高殊勲選手(MVP)、なおかつ投手としてノーヒットノーランを成し遂げた選手なんて、日本のプロ野球史上、この男しかいない。

 呉昌征(ご・しょうせい)。台湾・嘉義(かぎ)農林で春・夏合わせて4度の甲子園に出場。昭和12(1937)年、創設間もない日本のプロ(職業)野球の東京巨人軍に入団するや後に名監督となる三原脩(みはら・おさむ)や水原茂、伝説のエース沢村栄治らに交じって1番バッター外野手として活躍。ルーキーながら巨人の中で最高打率(春)をマークする。

 左打ちで、俊足、好打、強肩、好守。セーフティーバントや、何でもない内野ゴロを「足」でヒットにしてしまう。外野手としての守備範囲は広く、“レーザービーム”の強肩でランナーを刺す…そう、あのイチローそっくりだ。

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