岸壁の仰げば尊し
終戦後の昭和23(1948)年5月、台湾北部の基隆港。岸壁に詰めかけた台湾人の研究者・学生らの間で、日本人の恩師を送る涙まじりの『仰げば尊し』の大合唱が起きていた。
船上の人となったのは台北帝大教授を務めた野副鐵男(のぞえ・てつお)。大正15年以来、在台20年以上。南洋天然物の化学的研究に勤(いそ)しみ、タイワンヒノキから抽出した精油から「ヒノキチオール」を発見した化学者である。
《「ノゾエセンセイ!」突然、野副の耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。岸壁に目をこらすと見送りの人々の中に懐かしい顔があった…副教授や学生、技術者、助手(略)。歌声が流れてきたのである…「仰げば尊し、わが師の恩…」。雷に打たれたように野副の全身に電流が走った…》(「ヒノキチオール発見物語 評伝 野副鐵男」から)