ソ連消滅でも中国共産党「独裁の遺伝子」継承 論説顧問・斎藤勉

「血の日曜日事件」で現場となったテレビ塔1階には、犠牲者の写真が展示されていた=2007年5月、リトアニア・ビリニュス(遠藤良介撮影)
「血の日曜日事件」で現場となったテレビ塔1階には、犠牲者の写真が展示されていた=2007年5月、リトアニア・ビリニュス(遠藤良介撮影)

 うら若き女性が戦車に轢(ひ)き殺され、無差別発砲の銃弾が容赦なく民衆を撃ち抜いた。「血の日曜日事件」といわれ、「ソ連の天安門事件」とも指弾されたバルト三国の一つ、リトアニアのソ連軍による独立運動弾圧。1991年1月13日未明、首都ビリニュスで「言論の自由の砦(とりで)」のテレビ塔の白雪を鮮血で染めた暴虐から30年になる。「ソ連・東欧改革の旗手」だったゴルバチョフ・ソ連共産党書記長(当時)の民主化政策「ペレストロイカ(再建)」は暗転、一夜にして「血塗られた独裁」に堕(お)ちた。この事件が直接の引き金となり、ソ連は夏の守旧派によるクーデター未遂を経て、その年末、あっけなく崩壊した。

 共産主義の総本山は消滅したが、無辜(むこ)の人々に平然と銃口を向け、弱小民族に仮借なき弾圧を加えるスターリン由来の共産党独裁体制の忌まわしき遺伝子は、30年後のいまなお、世界の平和をかき乱している。