明治維新を支えた男 白石正一郎日記に見る幕末

第1部 前夜(3)編集委員・宮本雅史

白石邸の浜門。現在は山口県下関市の長府地区に移築されている(宮本雅史撮影)
白石邸の浜門。現在は山口県下関市の長府地区に移築されている(宮本雅史撮影)

 ■西郷がほめ言葉書き連ね

 安政4(1857)年11月12日、西郷吉兵衛(のちの隆盛)と薩摩の商人、米良喜之介、薩摩藩から脱藩した工藤左門(さもん)は、長門国(ながとのくに)の竹崎浦(山口県下関市)にある荷受問屋「小倉屋」の8代目当主、白石正一郎(しらいし・しょういちろう)の邸の客間で話し込んでいた。

 白石邸は後に維新の志士たちの交流の場となり、正一郎は「奇兵隊のスポンサー」と呼ばれた。彼の日記には志士たちとの交流がしたためられている。

 正一郎は大の酒好きだったようで、「白石家文書」に収録された『白石正一郎日記』(日記中摘要)には、「何某来訪一酌」「夜ニ入大飲」「終日酒宴」という文字が頻繁に出てくる。1日に2、3回、酒を飲むこともあった。

 「白石家文書」には200種類近い食品名が登場するが、酒のつまみとしては「ふく」「スッポン」「ウナギ」「そば」が多い。西郷と初めて会ったこの夜も、盛大な酒宴になったのだろう。

 西郷が、なぜ下関の正一郎に会いに来たのかは、日記に記されていない。

 西郷は当時、薩摩藩主、島津斉彬(なりあきら)の強い信頼を得て、徒目付(かちめつけ)兼庭方(にわかた)の立場で斉彬の手足として、極秘裏に情報収集と地下工作活動を展開していた。白石邸に立ち寄った際も、斉彬の密命を帯び江戸へ向かう途中で、越前福井藩主、松平慶永(よしなが)(春嶽(しゅんがく))への密書を自らに忍ばせていた。

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