眠れぬ墓標

特別編 絶海の硫黄島(2)絶望 「本土の盾に」凄惨な戦場

 第二次大戦で日米両軍が激しく戦火を交えた硫黄島。想像を絶する凄惨(せいさん)な現場で死のふちをさまよった生還者、大越晴則(83)=横浜市=の記憶にあるのは、油の臭いだ。

 米軍は、日本兵が潜む地下壕(ごう)に海水とともに油を流し込み、火を放った。多くの仲間が火だるまになって死んでいった。「生き地獄だった」。所属部隊2万2933人のうち、生還者1033人、生還率わずか4・5%…。大越は当時、17歳の若さだった。

 昭和19年7月、米軍はすでにサイパンまで進撃。迎え撃つ日本軍は、陸軍中将、栗林忠道の指揮の下、地下に総延長18キロにも及ぶ壕を掘り進めて持久戦に備えていた。

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