眠れぬ墓標

第3部 極限のシベリア(3)分断 思想教育 語りがたい「心の傷」

 寒さ、飢え、重労働は、シベリア抑留の三重苦といわれる。一方、精神面で抑留者を深く苦しめたのが、思想教育に基づく“分断”だった。

 ソ連側は昭和20年9月から、抑留者向けの「日本新聞」を発行。日本語の紙面で共産主義礼賛や天皇制批判を繰り返した。翌21年には、抑留者の勉強会組織として「日本新聞友の会」が結成され、後に「反ファシスト委員会」に発展。政治学校で養成された抑留者は、アクチブ(活動分子)として各収容所に送り込まれた。

 彼らは収容所内で主導権を握り、共産主義思想にくみしない同胞たちを容赦なく糾弾した。ソ連側は、思想教育をもとに次第に日本人同士を分裂させ、反目させていった。

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