眠れぬ墓標

令和の課題(2)遺骨 身元特定 新方式にかける

遺骨収集の合間に当時の様子を語る伊藤久夫さん(左)=6月15日、テニアン島(池田祥子撮影)
遺骨収集の合間に当時の様子を語る伊藤久夫さん(左)=6月15日、テニアン島(池田祥子撮影)

 昭和19年8月2日、北マリアナ諸島テニアン島。当時9歳だった伊藤久夫(84)=福島県=ら現地在住の日本人たちは、旧日本軍の玉砕が迫るなか、米軍の砲弾に追い詰められ、集団自決を決意した。

 伊藤一家を含む5家族が息を潜める洞窟に、銃声が近づく。同じように避難した民間人だろうか、周囲から「天皇陛下万歳」という最期の声が次々とあがった。突然、黒人の米兵が顔をのぞかせ、「デテコイ」と日本語で呼びかけた。

 「やろう!」。「天皇陛下万歳」。大人たちの合図で各家族が輪になって1つずつ手榴弾(しゅりゅうだん)のピンを抜いた。爆発音とともに煙が充満。だが、5発のうち、伊藤一家を含む2発は不発だった。周囲で破裂した手榴弾の破片が伊藤一家の顔や背中に突き刺さる。「殺してくれ」「楽にしてくれ」。死にきれなかった人たちの懇願を、伊藤の父が聞き入れ、まさかりで伊藤ら家族の頭も殴りつけた。

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