明治維新を支えた男 白石正一郎日記に見る幕末

第2部 夜明け(7)負けても租借を断った高杉 編集委員・宮本雅史

長州藩が欧米連合軍と戦った前田砲台跡。砲撃で焼き払われた=山口県下関市(宮本雅史撮影)
長州藩が欧米連合軍と戦った前田砲台跡。砲撃で焼き払われた=山口県下関市(宮本雅史撮影)

 長州藩が文久3(1863)年5月、外国船の攻撃(攘夷戦、下関事件)に踏み切ったのは、幕府や諸藩を攘夷に巻き込み、朝廷を中心とする政治に改革したかったためだ。

 しかし急進的な尊攘派の長州藩は、朝廷と幕府が一体となって改革しようという公武合体派の会津、薩摩両藩によって、同年の「八月十八日の政変」で京から追い出されてしまう。

 復権を狙う長州藩は元治元(1864)年7月19日、天皇を掌中に取り戻そうと兵を率いて上京するが、会津、薩摩両藩を中心とする幕府軍に撃退され、尊攘派の中心人物であった長州藩の久坂玄瑞(くさかげんずい)や久留米藩の眞木和泉守(まきいずみのかみ)は自刃に追い込まれた。蛤御門(はまぐりごもん)の変である。

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