歴史をあざむいた偽文書 「椿井政隆」とは何者なのか

椿井政隆が描いた絵図を明治時代に写した「山城国綴喜郡井堤郷旧地全図」。平安時代の京都府井手町の様子を示すとして町史などで使用されてきた(京都府立京都学・歴彩館蔵)
椿井政隆が描いた絵図を明治時代に写した「山城国綴喜郡井堤郷旧地全図」。平安時代の京都府井手町の様子を示すとして町史などで使用されてきた(京都府立京都学・歴彩館蔵)

 焼失した幻の大伽藍を示す絵図や、合戦に関する戦国武将の書状。地域の歴史を記す根拠とされてきた数々の古文書や古記録が、実は後代の特定人物により大量に偽作されたものだった-。なぜそんな文書が作られ、どうして受け入れられてきたのか。驚くべき問題に気鋭の歴史学者が迫る『椿井文書(つばいもんじょ) 日本最大級の偽文書』(中公新書)は、歴史研究のあり方の盲点を突く。

 ■近畿一円に数百点

 椿井文書とは、江戸後期の国学者、椿井政隆(1770~1837年)が偽作した書状や由緒書、絵図などの総称。中世の文書を近世に筆写した体裁をとる場合が多く、見た目は新しいが内容は中世のものだと信じられてきた。椿井が住んでいた山城国相楽郡椿井村(現・京都府木津川市)を中心に、滋賀県や奈良県など周辺府県に広く出回り、判明分だけで数百点におよぶ。近年まで近畿圏の30以上の市史や町史で引用されるなど、地域史に欠かせない史料となっていた。