歴史の転換点から

異説・桶狭間の合戦(下)3つどもえ 神と闇、そして冷血智将の死闘

桶狭間の戦いのさい、織田信長が戦勝祈願に訪れたと伝えられる熱田神宮=名古屋市熱田区(関厚夫撮影)
桶狭間の戦いのさい、織田信長が戦勝祈願に訪れたと伝えられる熱田神宮=名古屋市熱田区(関厚夫撮影)

 寡兵の織田信長が、大軍を率いて進攻してきた今川義元を敗死させた桶狭間の戦いが起きたのは必然であり、その鍵を握るのは謎の武将「水野十郎左衛門尉(さえもんのじょう)」である-。これが今回のテーマなのだが、まずはこの史上のジャイアントキリングにおける「信長伝説」についてである。(編集委員 関厚夫)

信長、「神軍」す

 「運は天にあり!」

 幾度となく出撃をいさめる家臣たちに信長はそう言い放った、と近臣、太田牛一が残した信長研究の基本史料『信長公記』にある。

 永禄3(1560)年5月19日(旧暦)の昼下がり。緒戦の勝利後、義元指揮下の今川軍本陣が「おけはざま山」で休憩をとっていたところ、「にわかに急雨(むらさめ)が石氷をなげうつように敵の正面、味方の背中に降りかかる」。そのすさまじさは楠木の巨木が倒れるほどだった。

 織田軍はこの天変の直前に山際まで進軍していた。そして晴れ間とともに黒煙を上げて突撃すると、油断していた今川軍はなぎ倒されるかのように一気に崩れていった。

 「余りの事に熱田大明神の神軍(かみいくさ)かと申(もうし)候なり」-と『信長公記』は伝える。同書には信長を神格化する記述が散見されるが、このときばかりは後講釈を排し、天変を含め、信長には常人に見えないものが見えていたと理解すべきだろう。

 一方、義元は冷血の智将だった。

有料会員向け記事こちらは有料会員記事です (会員サービスについて)

産経ニュース会員(無料)に登録している方は、ログイン後に有料会員登録を行ってください