異説 明智光秀の実像

(4)光秀の待ち伏せ 秀吉の尼崎危難伝説

明智方の捜索を僧侶になりすましてやりすごす豊臣秀吉を描いた「絵本太閤記」の挿絵。すりこぎでみそをすっているのが秀吉(尼崎市教育委員会所蔵)
明智方の捜索を僧侶になりすましてやりすごす豊臣秀吉を描いた「絵本太閤記」の挿絵。すりこぎでみそをすっているのが秀吉(尼崎市教育委員会所蔵)

 天正10(1582)年6月2日、明智光秀の軍勢が織田信長の宿所・本能寺を急襲し、信長は自害して果てた。備中高松(現岡山市)に毛利氏を攻めていた羽柴(豊臣)秀吉はこの報を聞き、すぐさま毛利氏と和議を結び、光秀を討つべく京都へと返した。世にいう「中国大返(ちゅうごくおおがえ)し」である。その道中、秀吉は尼崎(兵庫県)で光秀方の待ち伏せに遭い、危機一髪で難を逃れたとする伝説がある。今回は趣向を変え、光秀ではなく秀吉にスポットを当てる。

(古野英明)

秀吉、僧侶に化ける

 光秀討伐のため先を急ぐ秀吉は、現在の兵庫県尼崎市と西宮市の市境付近を流れる武庫川で光秀方の待ち伏せに遭う。だが、西宮側にいた秀吉一行は、対岸の尼崎側で雉(きじ)があわただしく飛び立つのを見て、敵が潜んでいることを知り、道を変えて難を逃れた-。

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