歴史シアター

奈良の大仏を造った男・行基 墓誌容器の製作者は誰か

行基像 =奈良市の近鉄奈良駅前
行基像 =奈良市の近鉄奈良駅前

 奈良・東大寺の大仏(盧舎那仏)造立の立役者として知られる奈良時代の高僧・行基(668~749年)の墓(奈良県生駒市有里町)から見つかり、遺骨を納めたとされる金銅製の容器。表面に行基の墓誌《大僧上=正=舎利瓶記(しゃりへいき)》が刻まれたこの容器の破片(墓誌断片)について、奈良国立博物館が成分分析調査をしたところ、素材の銅は鉛の含有率が非常に高いことが分かった。断面には多数の気泡の跡もみられ、鋳造時の技術的不備も判明。容器は官営工房ではなく、民間で制作した可能性が高い。墓誌のありようは、墓所造営に国だけでなく、多くの弟子や支持者がかかわっていたことを示しているのかもしれない。(編集委員・上坂徹)

大僧正に任命

 正史である『続日本紀』によると、聖武天皇は天平15(743)年、紫香楽宮(滋賀県甲賀市)で、「大仏造顕の詔」を発し、行基を勧進(民間から資金や資材を調達する役目)に抜擢(ばってき)。国民から浄財を集めることに奔走した行基は同17(745)年に、仏教界の最上位である大僧正に初めて任じられた。行基は大仏が完成して、開眼法要が営まれるのを見ることなく、その3年前の同21(749)年2月2日、自ら創建した平城京の菅原寺(喜光寺)で、亡くなった。行基はその6日後、遺言により生駒山の東麓で火葬。遺骨は瓶に納められて、墓所に埋められたという。