歴史シアター

驕れる平清盛、墓地破壊し屋敷建設

鳥辺野の入り口にあたるとされる「六道の辻」の石碑=京都市東山区の六道珍皇寺正門前
鳥辺野の入り口にあたるとされる「六道の辻」の石碑=京都市東山区の六道珍皇寺正門前

 平安京の葬送の地として知られる「鳥辺野(とりべの)」(京都市東山区)の一角から、平安時代後期の墓跡が初めて完全な形で確認された。遺体を荼毘(だび)に付す場所というだけでなく、鳥辺野には墓所が計画的に整備されていた可能性が指摘される。が、墓域からは、平氏の武家屋敷建設に伴う防御用の堀の跡も確認。当時、絶大な勢力を誇った平清盛(1118~81年)ら平氏一門は、鳥辺野周辺の六波羅の地に多くの屋敷を建てており、屋敷群建設は鳥辺野にまで浸食、墓域を一部破壊していた実態も浮かび上がっている。

(編集委員・上坂徹)

道長一族も火葬

 鳥辺野は京都盆地の東側にある東山の西麓に広がる地域で、平安時代中期には、化野(あだしの、京都市右京区)、蓮台野(れんだいの、京都市北区)と並ぶ平安京の葬送の地として知られるようになった。摂関家として栄華を極めた藤原道長ら一族もここで火葬され、遺骨は京都府宇治市木幡の墓地に納められている。このほか、「源氏物語」では、光源氏の正妻、葵上(あおいのうえ)がここで荼毘に付されたとしている。貴族だけでなく、一般市民の葬送の地でもあり、埋葬せずに大気中にさらして自然に還す「風葬」や「鳥葬」が行われていたという。

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