歴史シアター

主は藤原道長の先祖か 長岡京跡から貴族の邸宅、寝殿造りの兆し

長岡京跡から出土した貴族邸とみられる建物の遺構。寝殿造りとの関連が注目される =昨年2月、京都市伏見区
長岡京跡から出土した貴族邸とみられる建物の遺構。寝殿造りとの関連が注目される =昨年2月、京都市伏見区

 奈良時代末期に、桓武天皇が平城京から遷した都・長岡京(784~94年)の跡地(京都市伏見区久我西出町)から見つかった貴族の邸宅とみられる大型建物遺構。建物配置の状況が、平安貴族の邸宅様式である「寝殿造り」に近いことで注目を集めている。みやびやかな生活を体現しているような寝殿造りの邸宅が営まれるのは10世紀後半ごろから、というのが通説だが、100年以上早い。寝殿造りに移行していく萌芽なのか。この建物の主は、立地状況などから、この時代、勢力が弱まっていた藤原北家の上級貴族との見方も出されている。(編集委員・上坂徹)

レイアウト類似

 大型建物遺構が出土したのは長岡京の「左京三条三坊十六町」に該当する区域の南西側。3棟の掘っ立て柱建物跡で、中心建物は東西5間(13・5メートル)、南北4間(12メートル)で南北両面にひさしを備えていた。その東側には、小ぶりな建物2棟が南北に並んで建てられていた。この建物はいずれも東西2間(4・8メートル)で南北は推定で5間(12メートル)。中心建物が正殿で、こぶりなものが脇殿とみられる。同時に出土した土器から、長岡京期の建物と確認された。

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