歴史シアター

仁徳天皇と不仲の皇后 陵墓に同じ装飾の謎

仁徳天皇の皇后の墓とされるヒシャゲ古墳。大山古墳に共通する特徴があった =奈良市佐紀町
仁徳天皇の皇后の墓とされるヒシャゲ古墳。大山古墳に共通する特徴があった =奈良市佐紀町

 世界文化遺産に昨年、登録された「百舌鳥(もず)・古市古墳群」のひとつで、国内最大の前方後円墳「大山(だいせん)古墳」(仁徳天皇陵)=堺市。宮内庁と堺市による発掘調査で墳丘(全長486メートル)を囲む堤の平坦(へいたん)面から確認された石敷きは、これまで類例がないとされていたが、実は仁徳天皇の皇后陵に治定(じじょう)されるヒシャゲ古墳(磐之媛命(いわのひめのみこと)陵)=奈良市佐紀町=でも同様、堤に石敷きがあったことが、今春まとめられた調査報告書で明らかになった。石敷きは堤の装飾用とみられ、古墳で確認されたのはこの2例だけ。「日本書紀」で、不仲のように描かれている仁徳天皇と皇后だが、陵墓は共通する装飾で彩られていたのかもしれない。(編集委員・上坂徹)

全国で2例だけ

 大山古墳は墳丘の周囲を三重の濠(ほり)が巡り、その内側に2本の堤が設けられている。このうち、墳丘に近い堤(第1堤)の南東部について、宮内庁は平成30年10~12月、地元・堺市と共同で発掘調査を実施。陵の保全のための基礎資料収集が目的で、堤に3カ所の調査区(いずれも幅2メートル、長さ30メートル)を設けて発掘した。

 その結果、堤の平坦部分に石敷きが施されているのを確認。使用された石はこぶし大の礫岩(れきがん)で、堤の両端までまかれていた。3カ所の調査区ともに石敷きを確認していることから、第1堤は全周(約2・6キロ)にわたって、全面に石敷きが施されていたとみられる。