歴史シアター

承久の乱を首謀 武闘派・後鳥羽上皇が愛した庭園

水無瀬離宮のあったところに建つ水無瀬神宮
水無瀬離宮のあったところに建つ水無瀬神宮

 鎌倉幕府の打倒を目指し、「承久(じょうきゅう)の乱」(1221年)を起こした後鳥羽上皇(1180~1239年)が造営した水無瀬(みなせ)離宮(水無瀬殿)に関連するとみられる池や井戸の遺構が、離宮にほど近い大阪府島本町の尾山遺跡で見つかった。池は欅(けやき)の立ち木のほとりにしつらえられ、水底に青色の石を敷き詰めたみやびやかな造り。乱に敗れ、隠岐島に流されて非業の死をとげた後鳥羽上皇は和歌や芸能に秀でた文化人だったことが知られている。同時代の池などの庭園や建物の遺構が周辺でも確認されており、水無瀬離宮は壮大な庭園都市を形作っていたのかもしれない。

                   (編集委員 上坂徹)

舞や蹴鞠催し

 確認された池の跡は直径約3・5メートル、深さ約80センチのすり鉢状で、底面から約60センチの高さまで直径10~20センチの青色系の石が敷き詰められていた。西側と北側の石組みの中から竹製の管が見つかっており、池への注水装置として使用されていたとみられる。池の外側の形状に沿う形で伐採された欅の一部が残っていた。欅の反対側には、景石(景観を整える庭石)が池の内側と外側に据えられていた。

 また、池の8メートル西側からは樽(たる)を七段重ねたものと、石組みの井戸2基が出土。いずれも生活用水に使用するためのものだったとみられ、近くに住居があった可能性がある。