歴史の転換点から

(3)『大日本』『世界政治の中の日本』-英国発もう一つの「坂の上の雲」が描く国民の歴史

「日本の近代科学技術教育の父」と称されるヘンリー・ダイアーが約110年前に著した『大日本』と『世界政治の中の日本』の原書(神奈川県立図書館蔵)。「坂の上の雲」の時代をいまに伝えるで貴重な史料である=横浜市西区(関厚夫撮影)
「日本の近代科学技術教育の父」と称されるヘンリー・ダイアーが約110年前に著した『大日本』と『世界政治の中の日本』の原書(神奈川県立図書館蔵)。「坂の上の雲」の時代をいまに伝えるで貴重な史料である=横浜市西区(関厚夫撮影)

 「なぜなら第一に、他の列強をどこまで巻き込むか見当がつかず、一度戦闘が始まれば際限なく拡大する公算が大きいからである」

 前回、わが国の「近代科学技術教育の父」と称される英国人、ヘンリー・ダイアーが20世紀初頭、繰り返し日米開戦に反対していたことを詳述した。その理由について彼は大著『世界政治の中の日本』で冒頭のようにつづっている。同書の刊行は1909(明治42)年。5年後に勃発する第一次世界大戦を想起させる指摘だが、ダイアーは「(日本)帝国外交の骨髄」(名外相だった小村寿太郎)とされた日英同盟に触れながら、こう続けている。

 「われら(英国)と日本との同盟は、われらのアジア大陸での権益が脅威にさらされたときに(攻守同盟としての)効力を発揮する。しかし、もし日米が(アジア大陸ではなく太平洋で)海戦を始めれば、ロシアが満州で失った地位を取り戻す機会として活用する事はまず確実で、ならばわれわれは同盟国としての義務をはたすことを求められることになろう。この事実だけでも、英国をして他の列強と同様、平和が破られることのないようにすべての影響力を行使するよう駆り立てることだろう」