歴史シアター

岡山に築造された謎の巨大古墳 ヤマト王権との関係性

墳丘350メートル、国内4番目の規模を誇る造山古墳
墳丘350メートル、国内4番目の規模を誇る造山古墳

 墳丘のテラス面から初めて、円筒埴輪(はにわ)列や斜面に施された葺石が出土して、注目を集める岡山市北区新庄下の「造山(つくりやま)古墳」。全国第4位の墳丘規模(全長350メートル)を誇る大型の前方後円墳は5世紀前半の築造とされ、全国最大の大山(だいせん)古墳(伝仁徳天皇陵、墳丘長486メートル)=堺市堺区=など巨大な前方後円墳と時期が近い。埴輪列や葺石が確認されたことで、畿内の古墳と共通した装飾技法を使っていたことが明らかになり、「畿内の大王墓を造った技術者が関与しているのではないか」との声もあがる。被葬者は吉備地方(岡山県、広島県東部)を支配した有力首長とみられるが、ヤマト王権からの強い影響を受けていたことがうかがえる。

(編集委員・上坂徹)

平坦面から続々

 造山古墳は自然丘陵を削った上に、盛り土などをして三段に造成されている(三段築成)。岡山市教委が後円部北側の一段目と二段目のテラス(平坦(へいたん)面)、斜面に5カ所の調査区を設定して発掘調査したところ、一段目のテラスからは5体の円筒埴輪の列の跡を発見。二段目のテラスで4体を確認。同じテラスの別の調査区でも2体を見つけたが、このうちの一体は朝顔形埴輪とみられている。残存していたのはいずれも底部(高さ5~20センチ)だけで、上部は失われていたため、高さは不明。埴輪の直径は約30センチで、10~15センチ埋まった状態で出土した。