歴史シアター

弾圧下、建立された行基の土塔 須恵器に刻まれた天皇祈念文字の謎 

往時の姿に復元・整備された土塔=堺市中区土塔町
往時の姿に復元・整備された土塔=堺市中区土塔町

 奈良・東大寺の大仏造立の立役者として知られ、仏教の民間布教に尽力した奈良時代の高僧・行基(668~749年)が、生家に近い和泉国(監)大鳥郡土師(はじ)郷(堺市中区土塔町)に建立した「土塔」(国史跡)。この巨大な土の仏塔から出土し、「天皇尊霊」などと記された須恵器片が注目されている。この須恵器は本来円筒状の器物で、歴代天皇を追善する願文を記して、創建時に安置されたとみられる。土塔は行基の活動が禁圧されていた時期の建立だが、築造に協力した行基の「知識」集団には、天皇家につながるような高位の貴族がいたのかもしれない。中でも、願文の願主には、地元を拠点とした古代豪族・土師氏が浮上している。

 (編集委員・上坂徹、写真も)

稀有な土の仏塔

 土塔は53・1メートル四方の正方形瓦積み基壇の上に、粘土塊を並べて内側に土を入れるという形で、13重の段々を築いた段塔。各段の平坦(へいたん)面は約6万枚の瓦を葺(ふ)き、垂直面もすべて、瓦を立てて覆っていた。高さは約8・6メートル。長い裾野を持ち、中央にいくほど盛り上がり、富士山の山容を思わせる形状だ。塔全体が瓦で覆われているため、盛り土で構成されながらも、木造の塔のようにも見える。事実、奈良時代の仏塔は木造が主流で、盛り土で造られた大規模な仏塔はほとんどない。確認されているものでは、土塔と東大寺の頭塔(ずとう・奈良市高畑町、国史跡)だけである。